2011年12月31日

Une devise pour 2012

多くのみなさんが感じているように、2011年は多難な一年でありながら、今まで気がつかなかったことに気がついた年でもありました

.11のその瞬間、私は来日中だったパン職人エリック・カイザーさんのインタビューの通訳中でした「パンは地球の人口半分以上を養うもの…」そんなお話を聞いている最中にこれまで感じたことのない激しく大きな揺れが突然やってきたのです。
地下鉄が止まり行き場を失った人々がふきだまりのように溜まる日本橋の店舗で、エリック・カイザー・ジャポンの木村社長はスタッフに指示を出しました。「今仕込んであるパンは全部焼け!」釜から次々焼き上がるパンが手から手へと渡ってゆきます。フードというカタカナをまとってファッションとなった食べ物、私がマーケティングやプランニング、PRの仕事の対象としているもの。わかっているつもりでしたが、食べ物は命をつなぐ尊いものと心から実感した瞬間でした。

そしてもう一つ気がついたこと、それは私のまわりの在日フランス人たちがどれだけ日本を愛しているかということでした3月下旬東北への炊き出しから帰って来たキュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロのエグゼクティブシェフ、リオネルが、チャリティディナーを開催したいと相談して来たときには、帝国ホテル「レ・セゾン」のティエリー・ヴォワザン、銀座「ロオジエ」のブリュノー・メナール、「ジョエル・ロブション」のアラン・ヴェルゼロリ、「シェ・オリビエ」のオリビエ・オドス、15年来の友人「ルグドゥヌム・ブション・リオネ」のクリストフ・ポコーがすでに集結していました。6人合わせてミシュラン星10個というドリームチーム。

私はフランス人でも発音しやすいような名前 TOMONI(ともに)を
ディナーのために考えました

1ヶ月後、4月
27日に150人満席で開催されたチャリティーディナーTOMONIの最後に、クリストフが言ったこと「最初に日本にやってきたとき、日本人は大きく両腕をひろげて僕たちを迎えてくれました。今は僕たちが恩返しをするときです」には、訳しながら熱いものがこみあげました。

かなり以前から在日フランス人とはつきあいはありましたが、だいたい港区の高級な住宅街に住んでいてフランス人同士で固まっている…なんとなく一緒にいると自分が植民地の現地人になっているかのようなコンプレックスすら感じたこともありました。(どうせフランスの方が上だと思っているに違いない…のような考え)ところがそれは今年大きく裏切られました。

12月5日私は彼らと共に
ラ・キャラバン・ボン・アペチ Vol.15」のバスに乗り込みました

このキャラバンは在日フランス人協会や、在日フランス人シェフの会が中心となり、被災地の支援活動を震災直後から続けているもので、これからも続きます。その日のミッションは郡山の小学校と幼稚園の子供たち750人に一足早いクリスマスプレゼントを届けること、そしてシェフたちが腕によりをかけた給食サプライズメニューやビュッシュ・ド・ノエルなどおいしいものを楽しんでもらうこと。
朝6時に東京を出て夜10時に戻る弾丸ツアーでしたが、帰りのバスは疲れて寝るどころかまるで小学生のようなはしゃぎよう。ワインを飲んで歌うので、ぜんぜん眠れませんでした…。そう、フランス人はバスに乗ると子供に戻るのです。
自己主張が強く、何かと言動が目立つのがフランス人ではありますが、彼らと出会えたこと今もいっしょに東京にいることをとても誇りに思います。