2013年6月1日

BLOGリニューアルのお知らせ


* BLOGリニューアルのお知らせ *
これまで本BLOGをご愛読いただきありがとうございます。
2年近くBLOGをお休みしておりましたが、
この度アドレスと名前を変えて
BLOGを再スタートする運びとなりました。


CREMA*CREMOSSO
CREMA(クレマ)はクリームのこと、
CREMOSSO(クレモッソ)はクリーミーな泡のこと。

ひと、こと、もの、たくさんの出会いによって
ふつふつと生まれる日々の泡を
できるだけ拾ってゆきたいと思います。

これからもよろしくおねがいします。

CREMA 勅使河原加奈子

Je vais reprendre enfin mon blog au bout de deux ans de silence.
Voici la nouvelle adresse.

http://cremosso.typepad.com/blog/

Kanako Teshigawara


2011年12月31日

Une devise pour 2012

多くのみなさんが感じているように、2011年は多難な一年でありながら、今まで気がつかなかったことに気がついた年でもありました

.11のその瞬間、私は来日中だったパン職人エリック・カイザーさんのインタビューの通訳中でした「パンは地球の人口半分以上を養うもの…」そんなお話を聞いている最中にこれまで感じたことのない激しく大きな揺れが突然やってきたのです。
地下鉄が止まり行き場を失った人々がふきだまりのように溜まる日本橋の店舗で、エリック・カイザー・ジャポンの木村社長はスタッフに指示を出しました。「今仕込んであるパンは全部焼け!」釜から次々焼き上がるパンが手から手へと渡ってゆきます。フードというカタカナをまとってファッションとなった食べ物、私がマーケティングやプランニング、PRの仕事の対象としているもの。わかっているつもりでしたが、食べ物は命をつなぐ尊いものと心から実感した瞬間でした。

そしてもう一つ気がついたこと、それは私のまわりの在日フランス人たちがどれだけ日本を愛しているかということでした3月下旬東北への炊き出しから帰って来たキュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロのエグゼクティブシェフ、リオネルが、チャリティディナーを開催したいと相談して来たときには、帝国ホテル「レ・セゾン」のティエリー・ヴォワザン、銀座「ロオジエ」のブリュノー・メナール、「ジョエル・ロブション」のアラン・ヴェルゼロリ、「シェ・オリビエ」のオリビエ・オドス、15年来の友人「ルグドゥヌム・ブション・リオネ」のクリストフ・ポコーがすでに集結していました。6人合わせてミシュラン星10個というドリームチーム。

私はフランス人でも発音しやすいような名前 TOMONI(ともに)を
ディナーのために考えました

1ヶ月後、4月
27日に150人満席で開催されたチャリティーディナーTOMONIの最後に、クリストフが言ったこと「最初に日本にやってきたとき、日本人は大きく両腕をひろげて僕たちを迎えてくれました。今は僕たちが恩返しをするときです」には、訳しながら熱いものがこみあげました。

かなり以前から在日フランス人とはつきあいはありましたが、だいたい港区の高級な住宅街に住んでいてフランス人同士で固まっている…なんとなく一緒にいると自分が植民地の現地人になっているかのようなコンプレックスすら感じたこともありました。(どうせフランスの方が上だと思っているに違いない…のような考え)ところがそれは今年大きく裏切られました。

12月5日私は彼らと共に
ラ・キャラバン・ボン・アペチ Vol.15」のバスに乗り込みました

このキャラバンは在日フランス人協会や、在日フランス人シェフの会が中心となり、被災地の支援活動を震災直後から続けているもので、これからも続きます。その日のミッションは郡山の小学校と幼稚園の子供たち750人に一足早いクリスマスプレゼントを届けること、そしてシェフたちが腕によりをかけた給食サプライズメニューやビュッシュ・ド・ノエルなどおいしいものを楽しんでもらうこと。
朝6時に東京を出て夜10時に戻る弾丸ツアーでしたが、帰りのバスは疲れて寝るどころかまるで小学生のようなはしゃぎよう。ワインを飲んで歌うので、ぜんぜん眠れませんでした…。そう、フランス人はバスに乗ると子供に戻るのです。
自己主張が強く、何かと言動が目立つのがフランス人ではありますが、彼らと出会えたこと今もいっしょに東京にいることをとても誇りに思います。

2011年8月8日

Tournant la page


季節はめぐり、大好きな夏も盛りとなるころ、気がついたら
何年も前から家にある名前も知らない植物にこんなすてきな花が咲いていました。風船がはじけるようにパン、パンと咲いた小さな花は肉厚でビロードのよう。数ミリの大きさのひとつひとつの花は、よく見るとバランスの取れたデザインとすてきな色のグラデーション。10日以上咲き続け、私の目を愉しませてくれました。いったい何のために誰がデザインしたのか…それぞれの種に固有の花々、植物のダイバーシティー。大小にかかわらず、自然を前にするとわたしたちは畏れを抱かずにはいられません。


自然のまっただ中に夢を実現してしまった夫婦がいます
三ツ星シェフミッシェル・トロワグロとマリー=ピエール夫妻。「絵に描いたような完璧な田舎」とパリジャンが賞賛するイゲランドという場所は、リヨンの北西、ロワール川の源流に近いブリオネと呼ばれる丘が幾重にも重なって見える地方にあります。動くものといえば、丘の上でのんびり草を食む白いシャロレ牛の群れくらい。その丘のひとつに大きな栗の木と長年打捨てられていた農家を見たとき、二人は改装してジット(Gite=家に暮らすように滞在する宿泊施設)にしたい、と思い始めました。


さらに二人は農家を改装して家族で泊まれるジットを作るにとどまらず、自然に回帰する材料を使いながら、丘の上に張り出す舟、もしくは鳥の巣のようなモダンなカップル用宿泊施設「カドル」(Cadole)を三棟作りました。「トトロの森」からインスピレーションを受けたと言う丸天井に麻のロープを編んだ丸い窓の寝室は何かに守られるような温かさを感じます。


そして目覚めると。冒頭の写真、ベッドの横の小さな丸い窓からは朝もやに照らされる大きな栗の木がよく見えるのです。何もしない贅沢、ゆっくりとただそこに居て時間を味わうためにやってくる場所、それがここ「コリーヌ・デュ・コロンビエ(LaColline du Colombier)」なのです。


農家を改装したジットでもカドル同様に朝食は自分で作ります
近所の農家の生みたて卵、新鮮なフルーツやヨーグルト、バスケットいっぱいの焼きたてのブリオッシュやパン、搾りたてオレンジジュースなどが届けられ、好きなように卵を調理して好きな時間に食べるのです。


あとは、このような籐の長椅子にぺろ〜んと身体をのばして、白いシャロレ牛を眺めるもよし、持って来た本を読むもよし…。悲しいかな日本人の私は、まして仕事で来た私は朝起きてすぐこの贅沢な田舎の時間を享受することなく、タクシーでリヨンに移動というもったいないことを何度かしています。


しかし、食べることは仕事なので忘れるはずがありません
「コリーヌ・デュ・コロンビエ」には家畜小屋を改装したモダンなオープンキッチンのある開放的なレストラン「ル・グラン・クヴェール(Le Grand Couvert)」があるのです。


料理を担当するのは当然のことながら、三ツ星を43年維持する伝説のレストラン「メゾン・トロワグロ」のスタッフですから、味に間違いはありません。プリフィックス・メニューで35ユーロなので地元の方々でいつも満席。予約をしておかないと食べ損ねます。内容はすぐ近くで捕れるこのような立派なザリガニのリゾットや川魚のポシェや、シャロレ牛のカルパッチョやステーキなど野趣味あふれる、しかし洗練された郷土料理ばかり。そして偉大なブルゴーニュのドメーヌのジュネリックPNやブルゴーニュ・ブランのとてもすてきなヴィンテージが手頃な値段でとてもよい状態で楽しめるのが嬉しい。さすが三ツ星メゾンの仕入れだけあります。


そしてもうひとつのごちそうは、レストランの目の前にひろがるこの風景
パリジャンが言うところの「絵に描いたような完璧な田舎」です。
エールフランスの日本語機内誌BON VOYAGE7,8,9月号でも特集(フランス、自然と美食のスローステイ)でも取り上げられ、カドルのリビングルームが表紙になりました。

この季節、エールフランスに乗ってフランスへ行かれる方、ぜひ機内でページをめくってブリオネの田舎風景を味わってみてください。

2010年11月19日

Plus au sud


すべては那覇から届いた一本のメールで始まりました
私が沖縄の仕事をしていた頃からお付き合いのある砂川聖子さんというすてきな女性からのメール。砂川さんはソムリエールでありながら国際プロトコールの先生。さらに企業の人材育成のお仕事もされてます。その砂川さんが今度は八重山諸島専門の旅行会社の顧問になられたというではありませんか。

でも八重山諸島って…? そうなのです。八重山という名の島は存在しません。。実は石垣島、西表島、竹富島、小浜島、黒島、波照間島、鳩間島、与那国島、新城(あらぐすく)島など有人9島を中心とする沖縄本島より南の一連の島々、沖縄本島ともちょっと異なる文化的なアイデンティティを持っている一地方のこと指します。小さな島々が遠くから 見ると幾重にもかさなって見れるからそう呼ばれるようになったとか。ミシュラン観光ガイドで三ッ星の景観地にセレクトされた川平湾から海を見ると、なるほど八重山…と感じ取ることができます。


おーりとーり、八重山諸島!
島ならば大きなところでキューバ、シシリア、タスマニア、コルシカ、マヨルカ、マウイ…など訪れましたが、「島大好き」という単純な理由から、砂川さんからのご相談、八重山諸島のプロモーションのお手伝いをさせていただくことになりました。

「おーりとーり」とは現地の言葉で「ようこそ」の意味です。とびきり暑かった8月でしたが、「おーりとーり、八重山諸島!」というフェアを開催しました。東京駅の目の前にある新丸ビル7F、安全な食材を使う創作郷土料理レストラン丸の内ハウスMUS MUSさんとのコラボ。魅力的なメニューをいっしょに開発してまずは「八重山諸島の食ぬちぐすい(命の薬)」を東京のみなさんにご紹介しました。

食事が薬とは?たとえば、フルーツでなく野菜として頻繁に食卓に登場する青パパイヤは心臓によく、長命草は一日一枝食べると寿命が一日延びると言われ、現地では上手に料理に取り入れられています。またミネラルが豊富で暑さから身体を守る黒糖、玉ねぎやニンニクより血液サラサラ効果(アリシンという成分のおかげ)のある島らっきょうなども知られています。
さらに八重山諸島専門の旅行会社「平田観光」さんが自社農園で育てている立派なゴーヤ(身体の余分な熱を取り、繊維もいっぱい)などを、現地から多くの食材を取りよせました。食べることで健康になる、ぬちぐすい(命の薬)こそ、いくつになっても健やかな体を育むパワーフードなのですね。
とは言っても大人気は脂が口の中でとろける石垣牛サーロウィンステーキ。あっ、でも青パパイヤのシリシリー(細くおろしたもの)をたっぷりかけてバランス取りました。


島の魅力をお伝えするならば
やはり現地を訪れなければということで、9月終わり八重山諸島へ飛びました。夏と秋が交差するような空と空気に気持ちを預けて、まずは西表島からスタート。


6年前にスノーケリングで見た珊瑚礁の海が忘れられない西表島、カヤックとトレッキングで見に行ったジャングルの中の滝、ワイルドな自然というイメージが強いのですが、実は日本最南端の温泉があるのです。その名も「西表島温泉」、ジャングルの中のワイルドな露天風呂。小さなコウモリが飛んでいるのも見えます。遠くでミミズク(リュウキュウコノハズク)が鳴いているのも聞こえます。満点の星空を仰ぎながらお湯につかっていると体だけでなく、心までほぐれてくるのがわかります。

今回は島の西側にある静かな陸の孤島「船浮」まで舟に乗って行き、ゆっくり午後を過ごしました。ランチはぐるぐん(地元の魚)の唐揚げ、あおさ汁、「じゅーしー」と呼ばれる炊き込みご飯のおにぎりと、青パパイヤのきんぴらなど…。
なんとすべてが竹の器に盛られてます。お箸まで竹です。陶器にふさわしい土がないため、このように昔から竹を使うのだとか。


食事を終えて、ひとりスノーケリングセットを持って「イダの浜」へ。10分歩いて集落の反対側に行くとパッと視界が開けてビーチが現れます。だれ〜もいません。私と海、それだけ。「天国の口、終わりの楽園」というメキシコ映画で主人公たちが最後に行き着くビーチにそっくりでした。行くところに行けば見つかるのですね、天然のプライベートビーチ。


西表島を後にして、石垣島に船で戻り、今度はスピリチュアルツアーに参加しました。まずは島全体がパワースポットとも言われる竹富島からスタート。再び船に乗ること10分、石垣で囲まれた民家、砂を敷き詰めた集落の道にはのんびり観光用の水牛車が行き交い、本当にたたずんでいるだけで和みます。


大地からの力が上に向かって伸びていると言われるパワースポットに立って上を見ると、木々の間から青い空がすこーんと抜けていました。地元の方々が大切にされている礼拝所や泉などを訪れ、最後は「決心ができる場所」と言われる石垣島の御神崎へ。絶景です。本当に絶景ばかりの島ですが、ひとりガイドブックを見て訪れるのではなく、その場所の意味や力について丁寧に説明していただくと、景色を見る目も変わると分かりました。
そして八重山諸島で何よりも驚いたことは女性がチャーミングで若々しいことです。島のパワー、島の食事「ぬちぐすい」の効果でしょうか? 平田観光のベテランバスガイド砂川恵子さん、本当にお孫さんがいるとは信じられませんね…。

2010年10月17日

Wasabi en France...


フランス生まれのオーガニックわさび
みずみずしく美しい緑色のペースト、フランスで初めて栽培に成功した本わさびです。フランスの三ッ星、二ツ星シェフたちに、粉わさびやチューブ入りわさびではなく、日本原種の植物としての“わさび”(Wasabia Japonica)を知ってもらおうと名古屋に本社のある金印わさびさんからコーディネートを依頼されたのは2005年のことでした。

シェフと農家さんの協力のもとブルゴーニュからロワール、ボルドーまでフランスの各地5カ所に種を蒔き苗を植えました。でも日本と土壌も気候も違うこと、嵐に遭ったり、猛暑にやられたり、なめくじに食べられたりと失敗が続く中、ついに昨年10月に収穫できたのが、リヨンの南、ロアンヌの三ッ星レストラン「メゾントロワグロ」のオーナーシェフ、ミッシェル・トロワグロ氏とビオ(有機栽培)の生産者ブリュノ・シュエッツェルさんチーム。正真正銘フランスで初めて栽培に成功したわさび、しかもオーガニック(有機栽培)です!


わさびと聞けば皆さん清らかな水が流れる山間のわさび沢を連想されるでしょう。しかし日本でもそのような“沢わさび”の栽培地は長野県や静岡県に限られ、ほとんどが“畑(はた)わさび”、つまり土栽培です。フランスでも土に植えました。わさびはとてもデリケートでミステリアスな植物。健康に育つには日光が必要ですが強すぎると枯れてしまい、根元は風通しよく、土はいつも湿っていなければなりません。

越冬をさせて約2年後に収穫する根気の必要なわさびは、アブラナ科の野菜でキャベツやクレソンの仲間です。栽培に成功したブリュノさんはそうしたわさびの特徴を理解し愛情をこめて毎日見守り育ててくれています。月に1回夜中に東京からブリュノさんに電話をして、栽培状況をチェック。金印わさびさんの農業エンジニアからのアドバイスを伝えて、というやり取りがもう5年も続いてます。


最初にブリュノさんの畑で抜いたわさびを鮫皮のわさびおろしでおそるおそるおろして、なめてみたときの感動は忘れません。ツンと鼻の奥に抜ける辛さとさわやかな香り…。体長5センチほどのチビわさびですが、日本産と変わらないパンチのある味わいでした。
今三ッ星「メゾン・トロワグロ」では地元で採れたこのわさびを料理(写真はマッシュルームと生わさびの前菜)やデザートに使っています。確かに日本から輸入するより新鮮で、フードマイレージの削減にも役立ちますね。日本とフランスのコラボレーションはこれからも続きます。

2010年7月19日

Ossaraï


気がついたら2010年も折り返し地点!
今年前半の仕事を駆け足で振り返ってみたらこんなステキな作品を見逃していました…。日本を代表する工芸硝子メーカーSUGAHARAの新作発表会(2月開催)で発表の世田谷のパティスリーFraoulaの桜井修一シェフとのコラボレーションをコーディネート。そして誕生したガラスのクロカン・ブッシュスタンドです。クロカン・ブッシュとは小さなシューを飴で固めてヌガーを組み立て円錐状に積み上げる、フランスの婚礼には欠かせない伝統的なウエディングケーキ。しかし悲しいかな湿気の多い日本では飴やヌガーが溶けてシューが落ちてしまったりとアクシデントのもとであるため、作られる機会が少ないのです。
そこで「ガラスでクロカン・ブッシュスタンドを作れないか…」と桜井シェフ。千葉県東金市にあるSUGAHARAのガラス職人とシェフが何度もやり取りし、このような形になりました。マカロンを飾ればなんとマカロンツリーにもなります!ブッフェテーブルにおいても楽しいし、なにしろお菓子が取りやすい。しかしまだこちらはプロトタイプで、今でもシェフと職人のやりとりは続き、完成に向けて試作を続けています。ご期待ください。


そしてSUGAHARA新作発表会の会期中、花見団子のようなカラフルで楽しいギモーヴを提供して下さった桜井シェフ。そんなふんわり春を先取りしたようなお菓子に合うお茶をコーディネートしました。私の地元吉祥寺ある日本茶サロン「おちゃらか」の水出し緑茶2種類(さくらとラフランス)と、3月銀座店オープニングPRのお手伝いをした中国工藝茶専門店「クロイソス」の錦上添花(緑茶)と紅紅8(紅茶)です。
錦上添花はお湯を注ぐとお花が2つすくっと立ち上る縁起のよいお茶。緑茶の中でも特級茶葉とされる黄山毛峰(こうざんもうほう)を贅沢に使っています。そして紅紅8は世界三大紅茶のひとつ祁門(キームン)の茶葉で薔薇のつぼみを包み込んだエレガントなお茶。チョコレートやアーモンド風味のギモーヴと相性がばっちりです。いずれも中国工藝茶発祥の地安徽省にあるアトリエでひとつひとつ手作りされたもの。ガラスのポットの中でゆっくりと開き、お茶の中で揺らぐ花を見ていると時間が過ぎるのを忘れてしまいます。


ロワール河を遡る
「え?火山が噴火で飛行機が飛ばない?」それは4月フランス出張中のことでした。前代未聞の出来事にびっくり。おまけにフランス国鉄はストライキ中。コート・ロアネーズのガメイの畑を訪れながら明日の移動のことを考えてました。そこはPays de la racine de La Loire (ロワール河の源)です。「仕方ない車で行こう!」意を決して日本からのお客様がレンタカーのハンドルを握り、私たちが一路目指したのはロワール河の河口、大西洋の保養地、ナントの郊外ラ・ボール(La Boule)です。数百キロの距離を走りロワール河を遡ってしまうとは想像もしませんでした。
車でフランスを横断して思ったこと、それはホントにこの国は農業国、食と地方が結びついている国なんだということです。高速道路の標識には、ソミュール、ピュリニー… なんだかワインやチーズ、お肉の産地の名前が頻繁に登場して、お腹がすくばかり。


到着したラ・ボール、そして翌日のナントでは、大西洋の恵み、牡蠣や甲殻類をたくさんいただくことに。ロワール河の源ではおいしいエクルビス(川で捕れるザリガニ)をそしてこちらではごらんのように立派なラングスティーヌ(赤座海老)を堪能しました。映画の舞台にもなった歴史的建造物のシーフードレストランLa Cigaleはスカートをはいた蝉がシンボル。碧いタイルを贅沢にあしらったアールデコ建築は一見の価値有りです。


2010年5月24日

Primeur 2009


シャトー巡りはお寺巡りに似ている
ボルドーのシャトー(ワイナリー)を訪問しながらそう思いました。というのも、京都の小さな塔頭を回っていると、ふとしたディテールにご住職の趣味を感じとれるのと同様に、ひとつ一つのシャトーの設えや趣味が、まったく異なっているからです。薄暗い荘厳な地下のセラーを当時のままにしているシャトーもあれば、モダンアートギャラリーに改装したシャトー、ディズニーランドのアトラクションさながら照明と演出でスペクタルな空間に甦らせるシャトーなど。同様に、そのワインのスタイルやワイン作りのフィロソフィーも様々で比較するのは楽しいものです。

4月フランス出張中に、ボルドーで五大シャトー含む18シャトーを訪れ、類い希な当たり年と今から期待がふくらむ2009ヴィンテージのワイン(まだ樽で熟成中)を味わう幸運に恵まれました。

2009年のヴィンテージがなぜすばらしいのか?
それはまず恵まれた天候によるそうです。寒い冬の後に訪れた冷涼な春、次第に気温が上がり、8月は好天が続き、十分にポリフェノールを蓄えながら葡萄が熟し、しかし強い日差しに焼きつけられて葡萄がストレスを感じるほど暑くはなく、9月中旬、収穫前に軽く雨が降って葡萄もリフレッシュ。再び好天、昼と夜の温度差もしっかりあり、極めて清潔で健康な果実が収穫できたとか。収穫期間が長いのもこの年の特徴で、さていつ摘もうか?という見極めがポイントのようです。十分に熟して糖度が上がりすぎるとワインのアルコール度数が上がり、ボリューミーだけれど品のないワインになってしまうと早めに収穫するシャトー、品種の特徴を最大限に生かそうと最高の熟度まで辛抱強く待ってから収穫するシャトーなど、その選択は様々。最高の素材(葡萄)が手に入ったら、さあ今度は醸造です。ワイン作りは本当にエキサイティングな仕事だと思います。天からの恵み、代々受け継がれる土地が毎年与えてくれる恵み、人と自然が一体となって生まれるのですから。

初日のテイスティングはシャトーマルゴーから
いつも柵越しにしか写真を撮れなかったあこがれのシャトー。ジロンド河の左岸、カベルネ・ソーヴィニョンが主体の男性的なイメージのワインが多いメドックで「女王」の異名を取るワインです。見事なバランス。樽から引き抜いてきたとは思えない、豊かでしなやかなタンニン。

高級なパフュームを思わす芳醇な香りがずっと持続しています。
85年を初めて飲んだときに“取り込んだばかりの布団みたいな、太陽の香りがする”と記憶している同じく左岸のコス・デス・トゥルネル(サン・テステフ)はさらに凝縮感がありました。


美味しくて、飲みやすくてついごくごく飲んでしまったのがデュクリュ・ボカイユ
昨年末、東京で垂直テイスティングの通訳をさせていただいたムートン・ロートチルドもとてもエレガントで印象深く、工事中ということで向かいのミッション・オーブリオンのチャペルでテイスティングさせていただいたオーブリオンの白は忘れられません。きっともう一生飲めないワインでしょう。

ボルドーでは82年や90年に匹敵する最高のヴィンテージ、リリースされたら私には手の届かない価格になってしまうであろうこれらのワイン、飲み頃のピークを迎えるのは、20年、30年後とも言われます。おすすめはそれより先に楽しめるこれらシャトーのセカンドワイン。主に若い葡萄樹の果実で作られる有名シャトーのセカンドワインは早めに飲み頃がやってくるからです。そしてもちろん本当に偉大なワインはもちろんいつ飲んでも美味しいので20年待たなくても大丈夫です。ということで2009年ボルドー、ぜひ頭の片隅に覚えていてください。

2010年3月31日

Rhapsody in Shanghai


こんにちは上海
ワインのリサーチで上海へ行ってきましたなんと30年ぶりです。そのときは船で行ったのですが、まるで別の国になったかのような現在の上海にすっかり浦島太郎です。
世界一の高層ホテル「パークハイアット上海」に泊まってみました。私の浦島太郎ぶりは、現在を通り越して未来にまで行ってしまったようです。

「パークハイアット上海」は、通称“栓抜きビル”と呼ばれる101階建ての上海環球金融中心(ワールドファイナンシャルセンタービル)の高層階にあります。まず地上から400メートルまで数十秒で昇るエレベーターのスピードについてゆけなかったのか、ロビーに着いたときには足もとがふわ〜。窓から見下ろす、近未来的眺めを見て思い出しました。旧ロシア映画の巨匠アンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」(1972年)です。当時タルコフスキーは未来の都市を描くのに、東京の首都高速、ちょうど赤坂見附あたりのトンネルを撮影したのですが、もし監督が今「惑星ソラリス」を作るならきっと上海の浦東(プードン)をロケハンしていたのではないでしょうか…

二日目、上海を離れて蘇州に行きました。15年くらい前までは田んぼだったという広大な土地に工業団地ができて、日本をはじめ各国の企業が進出してきています。お昼には川魚をいただきました。湖の周りにはとてもモダンなフードコートやレストランがあってこれもびっくり。でも旧市街地の運河沿いへ行けば、昔懐かしい庶民の生活の息づかいが感じられます。そんな古い町の一角にPOST CARD & MILK TEAという小さな看板のお店を見つけました。

中に入るとポストカードが売られているだけでなく、壁一面、1月から12月まで日付別に分けられたカレンダー式の状差しに、メッセージを書いて切手を貼ったポストカードがたくさん残されています。お店の人の話によれば、ここで買ったハガキにメッセージを書いて好きな日の状差しにいれておけば、その日に投函してくれるのだそうです。すてきなサービスですね。ミルクティーを作ってくれるカウンターの板の下を支えるのは積み重ねられた単行本。とってもおしゃれ。気に入ったポストカードを見つけて、お茶で暖まりながら、未来の自分にハガキを書いて置いてくる…なんていいですよね。

そしてお土産は…
名前につられて買ってしまった菓子パン!たしかにゲジゲジに見えなくもありませんが、
恐ろしい名前とは反対に子供が喜びそうなバタークリームをサンドしたミルクパンでした。そして、殻付きの大きなクルミとピーカンナッツ。帰国してから毎日リスのごとく食しています。なぜか子供のころ、缶に入った中国のクルミを抱えて食べていたおいしい思い出があります。クルミは割ると脳の形をしているので、脳によいとこと、ふむふむ、私には必要です。そしてピーカンナッツはクルミよりもタンパク質やビタミンB群やEが豊富で、コレステロールを下げ、身体によいのだそうです。(いずれも食のデパート「第一食品商店」でざくざく量り売りしています)

中国で感じたこと
リーマンショック、今回の金融不安で相当な損をして海外から戻ってきたり、破綻した優秀な青年実業家たちに中国政府がしたこと、それはお金を渡して内陸にチャンスを求めるよう背中を押したことだそうです。中国の経済政策のお陰で、都市部、沿岸部はみるみる発展しました。それは確かに今回垣間見た新しい中国。しかしこの国は巨大です。まだまだ内陸は未開発で、30年前と変わらない生活をしている人たちもたくさんいるわけで、発展のための需要は山ほどあります。資源も人材も未開発。まだまだこれから、という期待感を抱かずにはいられません。内需の拡大と言いながら、少子化、デフレが続く日本とは正反対のような気がしました。そしてこの国で技術指導をしたり、進出をしてもの作りを教える日本人の技術者やビジネスマンにお会いして、遠いようで近かった中国の存在の大きさに気づいたのでした。

2010年2月22日

Viva Cuba !

8年ぶり8回目のキューバ
今年、実は生まれて初めてお正月を海外で迎えました。キューバの首都ハバナです。「ブエナビスタソシアルクラブ」というCDとドキュメンタリー映画を覚えてますか?その舞台となったハバナの下町、セントロ・ハバナのSan Miguel通りで新年を祝いました。

お正月の迎え方は国によって様々ですが、私が見たハバナの下町のお正月はとてもユニークでした。家族一同家に集まって(ここまでは日本と同じ)、テレビやCDからの大音響の音楽で楽しく踊り、0時の時報とともに卵を道路に投げつけ、信じられないくらいカラフルなデコレーションケーキを食べ、ラム酒で飲み明かします。リビングルームにはチラチラ光るクリスマスツリーの電飾。どこか懐かしく、切ない雰囲気…。
つい10年前まで毎年夏になると通っていた国キューバ。とにかくキューバの音楽とダンスが大好きなゆえに、到着するなり時間を惜しんで、午前ダンスレッスン→午後ビーチ→夜中ライブの毎日を繰り返していました。8年ぶりのキューバ、どんなに変わったかと思ったらそれほど変わっていませんでした。変わったことといえば、ストリートフードが多くなったことでしょうか?もやしいっぱいの炒飯屋さん、私の大好きなマランガ(山芋)をすりおろして揚げたフリート(これにラム酒があったら、もう止まりません!)や、手作りの蒸しパン屋さんなど。
カリブ海の真珠と呼ばれる美しい国キューバ。革命家チェ・ゲバラやフィデル・カストロを思い出す人も多いでしょう。ソ連の崩壊後、長年アメリカの経済封鎖に遭い、物資や食糧不足に悩まされていると言われています。しかし最近キューバの農業やその充実した自給自足率が世界から注目されています。
決して洗練されたものではありませんが、私はキューバのご飯が大好きです。主食の米を中心に、、黒豆や赤豆、山芋の類、大好きなバナナやパパイヤなど繊維質の果物がたっぷり。鶏肉も美味しいです。調味料と言えば、塩こしょうの他に、オレガノとクミン、トマトピューレとニンニクを多用します。ホテルではなく、いつも現地の家庭に滞在しますが、美味しいけれどお腹いっぱいでギブアップ、なんてこともしばしば。そんなときは”Comes como pajarito! (小鳥なみの食欲ネ)“と笑われます。
でも、市場に行ってみれば、並んでいるのはその時期収穫できる数種類の野菜だけ。私が滞在していた冬はかぼちゃが旬だったのか、毎食かぼちゃが登場しました。つまり、同じ食材が繰り返しヘビーローテーション状態なわけです。でもなぜ私はキューバに来ると飽きることなく、毎日美味しくご飯をいただくのでしょうか? さらにすこぶる体調もよいのです。
それはきっとまず添加物の入った半加工食品やインスタント食品などがまだ市場に多く出回っていないこと、いろいろな事情でやむなく国産の食材中心であること、そして料理好きなキューバのお母さんのお陰では、と私は思います。
見てください。このサラダ。トマト、きゅうり、生のかぼちゃにヴィネガーをかけただけですが、なんともラブリーな盛り付け。「料理は愛情」とはフレンチの偉大なシェフから聞いた言葉もありますが、手に入った材料でどうにか人を喜ばせたい、そんな気持ちにあふれています。
キューバ人の女性はきれい好きで料理上手、頭にカーラーを巻いたまま、モップで床を掃除していたかと思うと、黒豆入りご飯(アロスコングリ)の準備、そんなキューバの日常の光景が東京にいると時にすごく恋しくなります。
今キッチンにあるのは、キューバから買ってきた深入りコーヒー豆。ミルで挽く度に、ハバナのもったりとした空気と喧噪を思い出します。みなさんも機会があったらキューバ、ぜひ訪れてみてください。